一)、表示感嘆,兩者都可使用,但用法有區(qū)別。
用ものだ的形式,表示一般意義上的感嘆,此時(shí)一般不能用ことだ代替。而ことだ則表示就事論事的感嘆,一般用句型“なんと(或なんて、どんなに)……ことだろう(或ことか)”此時(shí)也一般不能用ものだ代替。例如:
1、赤ちゃんって可愛いものだ(×ことだ)ねえ。/嬰兒啊,那真可愛。(表示一般的感嘆,對所有嬰兒而言)
2、この赤ちゃんはなんと可愛いことか(×ものだ)、まるでお人形さんみたい。/這嬰兒多可愛啊,就好象布娃娃似的。(就事論事的感嘆,就對眼前的嬰兒而言)
3、月日のたつのが早いものだ(×ことだ)ね。/日子過得真快啊。
4、どんなにあなたのことを心配していたことだろう(×ものだ)。/我是多么地?fù)?dān)心你啊。
二)、表示忠告,兩者都可用,意思差不多,但用法有區(qū)別。ものだ表示社會(huì)道德常識(shí),人人都應(yīng)該遵守的規(guī)范,表示大道理;而ことだ則表示就事論事,不屬于大道理。中文意思都是“應(yīng)該……”。例如:
1、先生に會(huì)ったら、挨拶をするものだ(×ことだ)。/見到老師你應(yīng)該打招呼。(對所有老師都應(yīng)這樣,屬于禮貌常識(shí),應(yīng)該做。)
2、張先生に會(huì)ったら、挨拶をすることだ(×ものだ)。/見到張老師你應(yīng)該打招呼。(只適用于張老師,對其他老師可不必,表示就事論事。)
3、子供は親の言うことを聞くものだ(×ことだ)、親に逆らうものではない(×ことではない)。/小孩應(yīng)該聽父母的話,不能違拗父母。(表示對所有孩子而言)
4、お前は親のことを聞くことだ(×ものだ)、親に逆らわないことだ(×ものだ)。/你要聽父母的話,不要違拗父母。
三)、ものだ可以表示人們的一般認(rèn)同,意為:“總是……”:“難免……”、本來就是……。ことだ沒有這種用法。例如:
1、年を取ると、気が弱くなるものだ(×ことだ)。/上年紀(jì)了,難免就膽小了。
2、人間は死ぬものだ(×ことだ)。/人總是要死的。
3、水は本來低きに流れるものです(×ことです)。/水本來就是往低處流的。
4、赤ちゃんは泣くものだ(×ことだ)。/嬰兒就是愛哭的。
四)、ものだ接在動(dòng)詞過去時(shí)后,表示對往事的緬懷、回憶;ことだ沒有這種用法。例如:
1、子供のとき、よくこの川で泳いだものだ(×ことだ)。/小時(shí)侯,我常在這條河里游泳來著。
2、學(xué)生のごろよく貧乏旅行をしたものです(×ことです)。/學(xué)生時(shí)代,經(jīng)常進(jìn)行窮困旅行。
3、彼は若いごろは周りの人とよく喧嘩をしたものだ(×ことだ)が、今はすっかり穏やかになった。/他年輕時(shí)經(jīng)常跟周圍的人打架,可現(xiàn)在完全變得溫和了。
4、小學(xué)校の時(shí)代、彼のいたずらには、先生たちが手を焼いたものでした(×ことでした)。/小學(xué)時(shí),老師對他的淘氣很沒有辦法。
五)、ものだ接在愿望助動(dòng)詞たい后,表示強(qiáng)烈的愿望。ことだ沒有這種用法。例如:
1、小さい時(shí)に戻りたいものだ(×ことだ)。/真想回到小時(shí)侯。
2、そのお話はぜひ伺いたいものです(×ことです)。/很想聽一聽那件事。
3、海外へ行かれるときには、私も一度、ご一緒したいものです(×ことです)。/您去海外的時(shí)候,我也很想一起去。
4、今の私を、死んだ両親に見てもらいたいものだ(×ことだ)。/真想讓死去的父母看一下現(xiàn)在的我。
六)、以感嘆的語氣表現(xiàn)某種事實(shí),可帶有贊嘆、痛惜等語感?!袱长趣馈篃o此用法。例如:
1、「何かご用でもあって?」「いえ、別に。ただ近所まで來たものです(×ことです)?!梗?ldquo;有什么事嗎?”“不,沒什么事,我只是路過這附近。”
2、兵隊(duì)さんがだらしない行いをするのもよくあるものだ(×ことだ)。/當(dāng)兵的行為不檢點(diǎn)也是常見的。
3、それには親もすっかり困ったものです(×ことです)。/對此父母也傷透了腦筋。
4、おやじは一銭を十銭と間違えたものらしい(×ことらしい)。/老頭子好像把一分硬幣錯(cuò)認(rèn)成一角的硬幣了。
5、A社とB社は合併(がっぺい)することになったらしい。C社に対抗するとはいえ、思い切った決斷をしたものだ(×ことだ)。(選自00年一級(jí)語法)/據(jù)說A公司要和B公司合并,雖說是要與C公司抗衡,但也不失為一個(gè)大膽的決斷。